2022年7月21日木曜日

皆さんこんにちは!1学期の最後は教頭が担当します。
 私は幼い頃から地図を見るのが好きだった。地図の中ではどこにだって行けた。日本の47都道府県、当時、世界は170くらいの国だったか、小学生の私はその名前を全部知っていた。
 父は仕事人間、母は祖父母の面倒をみている家庭人間、家族でどこかに行った記憶はあまりない。それが当たり前だったし、寂しいとも、悲しいとも思わなかった。
 高校生の夏、北海道から転校してきた友人の里帰りに付き合って、友人3人と大洗からフェリーで北海道への旅をした。苫小牧港で、友人の兄貴が車で迎えに来てくれた。プロゴルファーを目指して働いているゴルフ練習場のレストランで、ハンバーグステーキをご馳走になった。
 あれから約30年、家族旅行で北海道に出かけたとき、レンタカーを運転していていると、ふっとあのときの「感覚」が全身に沸き立ってきた。
「あのカーブの先にゴルフ練習場がある!レストランがある!」
 確かにそこにはゴルフ練習場があった。草で覆われ倒産していたが、閉ざされて久しいであろうレストランも佇んでいた。路肩にレンタカーを止め、車から降りて空気を吸った。妻も娘も不思議そうな顔をしていた。
 今までにこんなことが一度や二度ではない。不思議なことに初めて行ったところでも、海外旅行先でもなのである。下野市が姉妹都市を結んでいるドイツ・ディーツヘルツタールに行ったとき(中学生派遣団員引率者として)、日本のガイドブックには全く載っていないマイナーな町ではあったが、フランクフルト空港からバスで100kmの間、なんとなくイメージする風景が車窓に広がっていた。地図やガイドブックの先が見えてくるというのか、なんとも表現しにくいこの「感覚」が私にはある。
 地図は平面だが、見方や感じ方によっては立体に見えてくる。ドローンのように俯瞰でも見えてくる。だから私はカーナビ通りに予定地に行くことは稀である。同乗者には「なんでナビ設定したの?」と呆れられるが、その「感覚」がたまらなくいい。
  だから私は旅行に行く前は、本屋さんに行って「るるぶ」などの旅行雑誌にある地図をぱらぱらと立ち読む。海外行ったときも必ず本屋を探して地図をみる。言葉や文字は分からないが、なぜか面白い。オーストラリアやニュージーランド(南半球)の地図なんて、まったく日本人には不親切でいい。パリやローマの本屋でみた地図も不親切でいい。つまり日本のガイドマップのように、とても詳しい観光情報や道路事情などが載っていない。
 
 コロナ禍のなか、旅行を自由に楽しめる気分ではないが、またあの「感覚」に出会えるよう、地図帳を旅して楽しもう!行ってみたい日本各地や世界の国々は山ほどある。皆さんも地図を見てみては?驚きに出会えるかも。そうそう宝くじも買わないと!
2学期のスタートは、事務室のスーパースターがお送りします!お楽しみに!

2022年7月13日水曜日

言葉の花束 #復活


 今まで出会った『少し早い夏休み』 『少し長い夏休み』を取った生徒たちの復活や、復活を支えた言葉をあげてみました。


「泣いても1日、怒っても1日、笑っても1日。どうせ過ごすなら笑って過ごせや。」

【田舎の祖母に言われた言葉。毎日じゅ文のように唱えて登校していました。】


「逃げるんじゃない。新しい世界に跳ぶんだ。」

【別な学校に転校する日、最後に話した一言です。不安そうな、それでいて全てを捨て去る潔さの感じた横顔が印象に残りました。】

「あいつらが追いかけられない場所に行ってやる。」

【幼馴染とは聞こえがいいけれど、小学校、中学校と、とぎれずに続く意地悪にやりきれなさを訴えていた彼。中学3年生の4月、進路を決めて、戦う武器を勉強にしぼった決意は、1年後、幼馴染たちが追いかけられない場所に自らを運びました。】


「いじめるやつらは弱虫だ。弱虫相手にしてもしょうがない。一人じゃ何もできないくせにと思ってやれ。本当に頭に来たら叫んでやれ。」

【父親の弟おじさんは、家族の中では頼りにされていないけれど、実は強い意志を持った人だった。相談したことで心の中にプライドを持つことの大切さに目覚めた。

  「私が登校しないと○○ちゃんが一人ぼっちになる。私は一人じゃない。○○ちゃんのためにも学校に来る。」

【仲良し2人組。一人が不登校気味になると残された一人は1人で行動するのはつらいので、どこかのグループと一緒に行動することが多い。○○は「戻ってくるまで、一人で頑張る。」と話すので、そのことを伝えたら翌日から登校再開。「戻ってきてうれしかった。」と涙を流した○○。本当は心細かったのだと伝わり、友達の良さを再認識した。】

「しかえしは神様にお願いすることにした。」

【お盆でお墓参りをした。親戚に友達の嫌がらせから登校できなくなっていることを知られ、落ち込んだその時、年上のいとこが、『神様になったご先祖様が、そいつらに必ずしかえししてくれるから、安心して学校に行け。』と言う。なぜか空からたくさんのじいさんとばあさん達が見てくれているように心強く思えた。2学期から登校再開した。】


「私は挨拶できないような、相手の顔もまともに見られなくなるような人生は生きない。」

【学校でコソコソ悪口を言われているように感じて学校に足が向かなくなった。登校できても早退する日々。ある時、悪口を言わない友達は挨拶をしてくれることに気づいた。態度も普通にしてくれる。その友達を見て、正々堂々と人に接する人間になりたいと思うようになった。】


 「世の中には鏡のように生きている人がいるんだって。私もこれから鏡になる。付き合い方は相手次第。私とどんなふうに付き合うかは相手に決めてもらう。相手と同じような態度で私は付き合う。」

 【嫌われることを恐れて、嫌われないように嫌われないように過ごしていたのに、自分を嫌っている人がいることを知って、人を信じられない、友達とどう接していいかわからないと登校できなくなった。『相手が親切なら自分もその人に親切に、相手が雑に扱うなら自分も雑にと、相手が自分にする態度と同じ態度で接するようにしたらストレスを感じなくなった』というネットの書き込みを読んでその方法を採用。

 人との接し方に差があったり、好き嫌いが出てしまうことがあるのは仕方がないことだと納得したら、友達に会うのが怖くなくなった。相手が意地悪をするなら、自分もその子に意地悪をしてもかまわないんだと思うようになったら、自分だけ気を遣って疲れることもなくなった。嫌われることも怖くなくなった。(実際には意地悪するわけではなく、私と相手は対等な関係だと認識する事)。自分は鏡だから、相手の態度をそのまま映す。その態度で相手に返す、接する。すると、深く付き合う人とは深い付き合いに、浅い付き合いの人は浅くと、人との距離感も取れるようになった。その結果、本当に仲良しの友達もできた。】


 これらの言葉を心の支えにして立ち上がる子供たちを見ていると、この言葉が良いとか、悪いとか、正しいとか、間違っているとか、そんなことはどうでもよく、それぞれに自分に合う言葉が見つかったのだと思う。

 人を救うのは、本当に人だ。誰かに言われたことや、本の中に出てきた言葉(これも人が考えて伝えていること)に心が動く。毎日ハッピーな人はいないけれど、自分で自分を励ます言葉を心に持ち、立ち上がり、前を向く。自分で自分を支える言葉が、やがて信念に変わるのかもしれない。

 そんな言葉にたくさん出会ってほしい。

 ★好きな言葉、気に入った言葉、心に残った言葉は、一冊のノートにまとめておくと便利です。時々読み返すとその時の自分にピッタリとはまる言葉が見つかります。 


七月最後の投稿は教頭先生です。お楽しみに!

   

2022年7月6日水曜日

七夕に寄せて

    明日7月7日は七夕ですね。
「ささの葉さ~らさら~♪」で始まる「たなばたさま」の童謡は皆さん知ってますよね。調べてみると、今から約80年前、昭和16年に文部省発行の「うたのほん」に掲載された唱歌とのことです。誰もが口ずさんだことのあるおなじみの歌ですが、改めて歌ってみるとよく意味のわからない言葉はありませんか?
(1番)ささの葉 さらさら     │(2番) ごしきの たんざく                
        のきばに ゆれる        │     わたしが 書いた                  
          お星さま きらきら     │     お星さま きらきら                
    きんぎん  すなご         │     空から 見てる                    
                                                                         
 「のきば」は「軒端」、軒の端っこの部分で、「軒下(のきした)、庇(ひさし)とも呼ばれます。昔はよく軒端に笹が飾られていたのですね。
 
 「きんぎんすなご」は漢字で書くと「金銀砂子」となり、金箔や銀箔を砂のように細かく砕いた粉のこと。襖(ふすま)や蒔絵(まきえ)の装飾に使われるものだそうです。空を彩るキラキラとした美しい天の川が目に浮かぶようですね。
   「ごしきの たんざく」は「五色の短冊」。この五色は中国の陰陽五行説にあてはまる五色で、「緑(青)・赤(紅)・黄・白・黒」のこと。陰陽五行説とは、万物は「木(緑)・火(赤)・土(黄)・金(白)・水(黒)」の5種類の元素からなるという自然哲学の思想で、七夕やこいのぼりなど、日本の慣習や年中行事に影響を与えています。そういえばこいのぼりの一番上に飾られる吹き流しにも、この五色が使われていますね。この五色の短冊に願い事を書いて飾ると願いが叶うと言い伝えられているそうです。(日本では、黒ではなく、紫を使うことが多いようです。)
  また、「さ」の音の繰り返しや「さらさら」「きらきら」での押韻、「すなご」から「ごしき」へのつながりなど、表現においても随所に技法が散りばめられ、歌にリズム感や流れるような調べを生み出しています。この辺も、長い間歌い継がれた所以とも言えるのでしょう。
  豊田中の昇降口には、今年もまた皆さんの願いが書かれた五色の短冊が飾られていますね。個性的でユニークなものから、周りへの思いやりあふれた心温まるものまで、実に様々な願いが頭上に揺れていて、下を通るときは思わず笑みがこぼれてしまいます。みんなの願いが叶いますように…と願うばかりです。
                                        次は養護の先生です。お楽しみに!