2021年3月23日火曜日



愛すべきチーム豊田

臨時休校中に開始したこの「絆プロジェクト」
なかなかゆっくり会うことのできない生徒や保護者とつながるためにと始まった企画でした。
教頭の私が原稿を書くのもこれが4回目。そして明日、令和2年度の修了式を迎えます。

今回は、コロナ禍でともに支え合い、難局を乗り越えた仲間(教職員)の自慢をしたいと思います。よく、教頭は「職員室の担任」と言われます。そんな担任の目でみた我がクラスは、それこそ個性のオンパレードと言えました。

互いのことをいつもいじり合っているのに、どちらかがいないと心配しあう男子生徒。
次々とクラスが楽しくなるようなアイディアを出してくれる生徒。
給食をおいしそうに頬張る生徒。ちょっと体形を気にして給食を減らす生徒。
パソコンが得意で、クラスの記録を残してくれる生徒や、アナウンスが上手な生徒。
誰が話しかけても、笑顔で応える生徒。悩んでいる仲間を心配してくれる生徒。
歌が上手な生徒、文字が美しい生徒、絵が得意な生徒、運動が好きな生徒。
物作りが得意で何でも作ってしまう生徒。力仕事が好きな生徒。
自分の仕事ではないのに、進んで手伝ってくれる生徒。
美味しいものや流行の話題で盛り上がってしまう女子グループ。
東北や外国からやってきた転入生。
仲間の健康状態をいつも気にかけてくれる生徒。
声の大きな子、穏やかな語り口の子、静かだけど実はユーモアたっぷりの子
担任が疲れた顔していると、そっとコーヒーを持ってきてくれる優しい子

話し合いが活発なクラスでした。時々叱られて静かになってしまうこともあったけど、
誰かがユーモアで笑顔を取り戻し、みんなで決めたことはみんなで取り組みました。
次々とやってくるさまざまな難題に、頭を抱え、工夫を凝らし、できることを考え、役割分担して乗り越えることができました。
そして、頑張っている人をみんなでほめることができるクラスでした。
頑張っている人に感謝できるクラスでした。

たった総勢24名の小さなクラスでしたが、荒れる海原で互いのオールを懸命に動かして令和2年のゴールを迎え、令和3年という新たな海へこぎ出します。

生徒や保護者の皆さんから見れば、まだまだ至らないことの多い教職員だったかもしれません。でもみなさんの温かな心に守られて、私たち教職員は生き生きと勤務することができました。心より感謝申し上げます。
                                                                                                                  教頭


 

2021年3月16日火曜日

絆プロジェクト67日目 スプーン

2011年3月11日、中学1年生の終わり頃、卒業式の前日。 放課後に、友だちや担任の先生とストーブにあたりながら話していたときのことです。 突然、ドンと強い揺れが来ました。机の下に避難するよう先生に言われ、何が何だか分からず机の下へ。 ストーブの上にある蒸発皿の水がバシャバシャとこぼれているのが見えました。 「校庭に避難しろー!!」と声が聞こえ、校庭に向かいました。 突然のことに泣いている友達もいました。 その後、解散して下校したと思いますが、どのように帰ったか覚えていません。   停電になり、電気が使えない生活がしばらく続きました。 夜空の星がいつも以上に見えてきれいだったこと。 信号が光っていないこと。 ガソリンが入れられないため、道路に車があまり走らず日中も静かだったこと。 雲一つない青空の下、雪が反射してまぶしい中、沿岸の被災地への支援物資(着ない服や使わない学習道具)を学校に届けたこと。 ガスと水道は使えたので、お湯を台所で沸かしそれを浴槽まで何往復もして、浴槽にためてお風呂に入ったこと。 震災直後のことはあまりよく覚えていませんが、いつもと違うこういう場面はよく覚えています。  1週間ほどたって、日中に電気が戻りました。これから少しずつ、内陸の私たちには日常が戻ってきました。  タクシードライバーをしている父は、首都圏から取材に来た人たちを沿岸まで送ったり、迎えに行ったりと、震災直後、休みもないほど大忙しでした。 沿岸に行っていた父から 「町がなくなっていたよ。がれきがたくさんある。とにかく昔の面影はない。」 とだけ聞いていた私は沿岸がどんな様子なのか、津波がどこまで被害をもたらしたか、テレビで見たようにしか想像できませんでした。    震災から2か月半ほどたったある日、父が私たち家族を沿岸に連れて行ってくれると言い出しました。 久しぶりのお出かけ気分。沿岸までの約2時間の道のりを姉弟でしりとりやゲームをしながら過ごしました。 が、だんだんと海に近づくにつれて草木が枯れていたり、家が壊れていたり、「いつもと違う」感じがしました。 あるところを境にニュースで見たようながれきだらけの光景が広がっていました。 よく刺身を買いに来ていた魚屋さんも、おやつを買ったコンビニも、たくさんの家も全部なくなっていました。 「これでもがれきが所々に集めてよくなった方だ。」と父は言っていました。 車を停めて、実際に「町だった場所」を歩きました。 「ただの汚いどろんこの道を歩いているんだ」「ここに家があったなんて嘘で初めからこうだったんだ」と思いながら歩いていましたが、 ふと地面に目をやると、どの家庭にもよくある、金属のスプーンが落ちていました。 「ここに生活があった」 ということを訴えかけているようでした。 怖くなって、 申し訳なくなって、 つらくなって目をそらしました。 この「ただのスプーン」を私は忘れられません。  たくさんの人を巻き込んだ地震、津波。  「いくら、建物が、町が、元通りになったって、あの時の苦しみ、悲しみ、大切な人を失ったつらさはなくならない。 けど同じことを繰り返さないように、多くの人にこのことを伝えていきたい。」 と震災当時、沿岸の小学校で校長をしていた大学の教授が話していました。  突然予想もしていなかったようなことが起こりうること、 日常なくなってしまうこと、命があることは決して当たり前ではないこと、 たくさんのことを考えさせられる出来事です。 そういうことがあるからこそ、 毎日を大切に、 周りの人、家族・友人を大切に、 そして自分を大切にしていきたいですね。 岩手県出身、2年2組担任でした! 次は誰かな~?

2021年3月4日木曜日

絆プロジェクト66日目  ある中学生の立志作文の話

『職場体験学習を通して』

 僕の夢は教師でした。小学生のときのある先生との出会いから、そういう気持ちが自分のなかで出来上がりました。  そこで、12月19日の職場体験学習では母校である○○○小学校を訪ね、職場体験学習をさせていただきました。

 はじめはやっぱり緊張しました。朝はまず、校門のところで小学生たちと校庭でランニングをしました。小学生たちがとても速く楽しそうに走っていることに気付きました。

・・・・(中略)・・・

 4時間目にはM教頭先生と用務員のK先生の手伝いもかねて、奉仕作業をしました。そこで、M教頭先生とK先生に「陰と陽」の話を聞きました。表で活躍する人がいれば、裏でその人を支える仕事があるという内容でした。この話を聞いてとても感動しました。今では担任の先生にも憧れていますが、裏方で支えている先生方のお仕事もしてみたいと思いました。

 この体験をしたことで、教師という仕事がどういったものなのか、少しだけ知ることができたような気がします。教師になりたいという気持ちが何倍にもふくれあがりました。

 僕の夢は教師です。


(以上です。当時、本も読まない、国語が大の苦手な中学生が書いた作文のため、文章や言葉の使い方がおかしなところがありますが、ご了承ください。)


 この人は、高校や大学でも苦難ばかりでしたが、多くの人に支えられ、栃木県の教員として採用されることになります。そして運良く小山市で一番素敵な学校に勤務し、素晴らしい生徒たちと2年間を過ごし、素晴らしい先生方に支えられ、毎日仕事をしています。そして今年は3年生の担任として、卒業式を直前に控えています。


 豊田中3年生のみなさん、夢を大切に。そして夢を叶えるための努力を惜しまないように。 そんなみなさんに私から最後のメッセージです。


「 夢は叶う 」


頑張れ!中学校生活のゴールはすぐそこだ!

頑張れ!!人生最初の大きな壁を乗り越えろ!

頑張れ!!!夢を叶えるその日まで!

君たちの新しい人生への旅立ちを、これからの光り輝く人生をずっと応援しています。


3年2組担任より




 次は、卒業式を迎える3年生を大切に見守ってきた我らが3学年主任です。 最後まで、豊田中の絆をつないでいきます。

2021年3月2日火曜日

「もし、人生やり直しができるとしたら…」

令和3年2月18日早朝、弟から電話があった。

「お父さんがもうだめかもしれない。間に合わないかもしれないけど来て…」

私は急いで病院に向かった。

間に合わないかも…でも間に合ってほしい。

そんな思いで車を走らせた。

遠方の病院だったので車で1時間30分。

着いたときには、まだ、その手は温かいのに心臓は止まっていた。

 

約3週間前に、危篤状態で病院に運ばれたが奇跡的に持ち直し、

集中治療室から一般病棟に移り、リハビリが始まった次の日の朝、容体は急変した。

突然の父の死だった。

死亡確認後、いろいろな処置や手続きがあってしばらくは病院にいた。

 

その間に弟から、こんな話があった。

「もし、人生やり直しができるとしたら、いつに戻りたい?」

と生前、父に質問したとのこと。

「戻らなくていい。戻ったとしてもきっと同じことを同じようにやるだろうから。」

と父は答えたそうだ。

それを聞いたとき、父らしいな…と思った。

歌や読書が好きだった父。

山歩きが好きで、私や弟が幼い頃、父は山菜採りやサワガニ取りに連れて行ってくれた。

スポーツが好きで、ソフトボール、ゲートボール、グランドゴルフなどを楽しんだ。

そこには多くの友人がいた。

旅行が好きな母と共に、いろいろな場所に出かけた。

その時、撮った写真にはたくさんの笑顔があった。

そんな父だったから、振り返った時、自分の人生に悔いはない。

「戻らなくていい。」という答えに、つながったのだろう。

「私もそう思えるような生き方をしたい。」と思う。

 

 

3月に入り、卒業式や終業式まで残りわずかとなりました。

1日1日を大切に過ごしていきましょう。

 

サポートクラス2組担任より