今まで出会った『少し早い夏休み』 『少し長い夏休み』を取った生徒たちの復活や、復活を支えた言葉をあげてみました。
「泣いても1日、怒っても1日、笑っても1日。どうせ過ごすなら笑って過ごせや。」
【田舎の祖母に言われた言葉。毎日じゅ文のように唱えて登校していました。】
「逃げるんじゃない。新しい世界に跳ぶんだ。」
【別な学校に転校する日、最後に話した一言です。不安そうな、それでいて全てを捨て去る潔さの感じた横顔が印象に残りました。】
「あいつらが追いかけられない場所に行ってやる。」
【幼馴染とは聞こえがいいけれど、小学校、中学校と、とぎれずに続く意地悪にやりきれなさを訴えていた彼。中学3年生の4月、進路を決めて、戦う武器を勉強にしぼった決意は、1年後、幼馴染たちが追いかけられない場所に自らを運びました。】
「いじめるやつらは弱虫だ。弱虫相手にしてもしょうがない。一人じゃ何もできないくせにと思ってやれ。本当に頭に来たら叫んでやれ。」
【父親の弟おじさんは、家族の中では頼りにされていないけれど、実は強い意志を持った人だった。相談したことで心の中にプライドを持つことの大切さに目覚めた。
「私が登校しないと○○ちゃんが一人ぼっちになる。私は一人じゃない。○○ちゃんのためにも学校に来る。」
【仲良し2人組。一人が不登校気味になると残された一人は1人で行動するのはつらいので、どこかのグループと一緒に行動することが多い。○○は「戻ってくるまで、一人で頑張る。」と話すので、そのことを伝えたら翌日から登校再開。「戻ってきてうれしかった。」と涙を流した○○。本当は心細かったのだと伝わり、友達の良さを再認識した。】
「しかえしは神様にお願いすることにした。」
【お盆でお墓参りをした。親戚に友達の嫌がらせから登校できなくなっていることを知られ、落ち込んだその時、年上のいとこが、『神様になったご先祖様が、そいつらに必ずしかえししてくれるから、安心して学校に行け。』と言う。なぜか空からたくさんのじいさんとばあさん達が見てくれているように心強く思えた。2学期から登校再開した。】
「私は挨拶できないような、相手の顔もまともに見られなくなるような人生は生きない。」
【学校でコソコソ悪口を言われているように感じて学校に足が向かなくなった。登校できても早退する日々。ある時、悪口を言わない友達は挨拶をしてくれることに気づいた。態度も普通にしてくれる。その友達を見て、正々堂々と人に接する人間になりたいと思うようになった。】
「世の中には鏡のように生きている人がいるんだって。私もこれから鏡になる。付き合い方は相手次第。私とどんなふうに付き合うかは相手に決めてもらう。相手と同じような態度で私は付き合う。」
【嫌われることを恐れて、嫌われないように嫌われないように過ごしていたのに、自分を嫌っている人がいることを知って、人を信じられない、友達とどう接していいかわからないと登校できなくなった。『相手が親切なら自分もその人に親切に、相手が雑に扱うなら自分も雑にと、相手が自分にする態度と同じ態度で接するようにしたらストレスを感じなくなった』というネットの書き込みを読んでその方法を採用。
人との接し方に差があったり、好き嫌いが出てしまうことがあるのは仕方がないことだと納得したら、友達に会うのが怖くなくなった。相手が意地悪をするなら、自分もその子に意地悪をしてもかまわないんだと思うようになったら、自分だけ気を遣って疲れることもなくなった。嫌われることも怖くなくなった。(実際には意地悪するわけではなく、私と相手は対等な関係だと認識する事)。自分は鏡だから、相手の態度をそのまま映す。その態度で相手に返す、接する。すると、深く付き合う人とは深い付き合いに、浅い付き合いの人は浅くと、人との距離感も取れるようになった。その結果、本当に仲良しの友達もできた。】
これらの言葉を心の支えにして立ち上がる子供たちを見ていると、この言葉が良いとか、悪いとか、正しいとか、間違っているとか、そんなことはどうでもよく、それぞれに自分に合う言葉が見つかったのだと思う。
人を救うのは、本当に人だ。誰かに言われたことや、本の中に出てきた言葉(これも人が考えて伝えていること)に心が動く。毎日ハッピーな人はいないけれど、自分で自分を励ます言葉を心に持ち、立ち上がり、前を向く。自分で自分を支える言葉が、やがて信念に変わるのかもしれない。
そんな言葉にたくさん出会ってほしい。
★好きな言葉、気に入った言葉、心に残った言葉は、一冊のノートにまとめておくと便利です。時々読み返すとその時の自分にピッタリとはまる言葉が見つかります。
七月最後の投稿は教頭先生です。お楽しみに!