中学の同級生だった吉田君は、高校の時、ラグビーの練習中に頸椎を骨折し、一時は命さえも危ない状態でした。
目が覚めた時、彼に告げられた言葉は「首から下は一生動かないかもしれない」というものでした。17歳という年齢に、その言葉はどれだけ辛く、悲しいものであったか、想像に難くありません。吉田君も、しばらくの間は、生きることより死ぬことを考えていたそうです。
でも、首から下が動かない彼は、死ぬこともできなかったと語っています。
そんな彼が立ち直るまで、そして厳しいリハビリに耐え、松葉杖で歩けるようになるまで、多くの人が支え、励まし、当然、吉田君も血のにじむような努力をしました。
今はカメラマンとして、あちこちを飛び回り、活躍しています。
私は同級生と言っても、クラスは一度も一緒になったこともなく、小学校も別だったので、一言二言しゃべった程度の知り合いでした。
別の高校に進学したので、それこそ中学卒業後は話す機会さえありませんでした。
そんな高校時代に、通学する電車の中で「吉田君、首のけがをして入院しているんだって。もう、首から下は動かないらしいよ」と友達が教えてくれました。
もちろん名前も知っていたので、「かわいそうに・・・」と会話したのは覚えています。
でも、自分が何か関わろうとまでは思いませんでした。
そんな私と吉田君が、中学を卒業して何年も(何十年も)経ってから、出会うきっかけがありました。
それは、教職員用の冊子に、吉田君が母校の佐野高校で講演をした内容が特集されていました。それを読み、初めて吉田君が壮絶な人生を歩んでいたことを知り、涙が出ました。
吉田君の事故を知っていながら、知らなかった長い時間について思いを馳せました。
しかし、人生とは不思議なものです。
そんな私に、栃木県版の道徳資料を編集する仕事が任せられ、新たな道徳資料の題材として、吉田君の出来事が採用されることになったのです。
吉田君の講演内容をダイジェストにまとめるのは困難な作業でしたが、吉田君の思いを想像しながら「17才のキミへ」という題名で書き上げました。
それがきっかけで、当時私が勤務していた学校に来ていただき、生徒たちに向けて講演をしていただきました。
お互い、何十年も経っての再会でしたので、懐かしいやら、恥ずかしいやらでしたが、本当に会えたことがうれしく感動しました。
そして今も、交流を続けています。 実は「17才のキミへ」が電子書籍として出版されることになりました。私がまとめた文章ではなくて、吉田君が書いた自叙伝です。
道徳の資料とは違った、人間の弱さや道徳的ではない部分も書いてあるそうです。
自分の人生が道徳の資料にはなったけれど、聖人君子のような、お涙頂戴みたいな物語にはしてほしくないと。
・・・吉田君らしいなあと思いました。
人生の試練て、人それぞれ違うと思います。
吉田君の試練は想像もできないほど大変なものだったでしょう。
きれい事だけでは乗り越えられないと思います。
じゃあ小さな試練はきれいに乗り越える?それも違います。
人間だもの、いやなこと、辛いことがあれば、憎んだり、苦しんだり、時には口汚くなってしまったり、心で吠えてしまったりあるはずです。
ずるいことをしてしまったり、さぼってしまったり、そういうこともあるかもしれません。でも、そんな時にも立ち直る一筋の光となるのが、夢だったり、家族の愛だったり、友情だったり、本当は自分を好きな気持ちだったり・・・人によってこれも違うのでしょう。
吉田君にも、立ち直るための様々な「きっかけ」がありました。
うまくいかなくても、思ったようにならなくても、格好悪いことがあっても、一生懸命生きていれば、いつか自分らしい生き方を見つけることができる。
それが実は一番格好いい生き方なんだと吉田君から今更ながら教えてもらった気がします。
長々と私と吉田君のエピソードを書きました。
ずっと中学校の教員として働いてきた私には、絶対譲れない事があります。
それは、中学校の友達は特別だよ!ってこと。
何が特別って、「ふるさとが一緒」ってことです。
何十年ぶりに会った私と吉田君をつなぐものは、やはり共通のふるさとの思い出でした。
何十年も違う道を歩んできた人間同士が、一瞬にして言葉を交わし、笑顔を作れるのです。そして、互いのこれまでの生き方を労い、またこれからも頑張ろうねと励まし合っています。
豊田中の生徒たちはいつも仲良しです。
これからも一緒に笑って、悩んで、思い出を作ってほしいと思います。
それぞれの世界に飛び立っても、ここがみんなの「ふるさと」であってほしいと思います。
今回の担当は教頭でした。次回の担当は教務主任です。お楽しみに!